総計: 1750884  今日: 8  昨日: 30       Home Search SiteMap E-Mail Admin Page
各地のニュース 教話 リレー随筆 規約集 リンク 掲示板 写真館
 
    
  
  現場の教義シリーズ
    現場の教義第14集
    現場の教義第13集
    現場の教義第12集
  COM編集部
  情報 立川和正
 

「情報」、というコトバが重要視され、多用されるようになって久しい。

今の世のちょっとした「キーワード」になっているし、誰もが躊躇することなく「情報」を欲しがる。私にしても、その日常を、ケイタイ、パソコン、テレビ等の情報機器に、かなり左右されている。ルス電のお世話にもなる。

朝のご祈念が済んで、前夜のルス電を聞く。「○○です。おかげさまで主人が、来週にも退院できることになりました……」。『あーそれはよかった、おかげいただいた』、さて朝食を、とキッチンにいく。…昼のご祈念になって、ふっと思い出して…我ながら、お礼が遅れて後味わるい。

自分は、いったい情報を得て、どうしようというのだろうか。

よくよく考えてみると、情報を知って、早く安心したいという思いが第一である。

情報は、である。なのに、実はだけを求めている。は二の次になっている。退院の知らせを聞いて、当人と家族がどれだけ喜んでいるかという情(こころ)まで受けていない。また、それを受けて、即座にご神前に行かない私の情(こころ)…。ご無礼で鈍な私ということに臍(ほぞ)を噛みながらも、情報機器の危うさを思う。報だけが先行して、肝心の情を置いてけ堀にしている。

人は、自分なりの判断を下したり態度を決めたりする、その素材として情報機器の報を鵜呑みにし過ぎていないか。もっともっと、自分自身のこころに直結した目、耳、手触り、直感に真剣さを持つことが大事と思う。特に、祈る、願う、祈念することは情報機器にはなじまない。

結果的にウソであってもかまわない。自分の五感とそれを支える祈りを第一にしていこうと思う。

 

クョスコニョ    [1] 
 前のテキスト: 「願う心が おかげの元」   藤原隆夫
 次のテキスト: 最後の掲示物です。
Fogel-Club Copyright (C) 2006